コンビニの窓に秋田プロレスの広告がはってある。
写真をとっておけば良かったと思うぐらい素敵だ。
プロレスは全く興味がない。
地域に根付いたエンターテイメントって素晴らしい。
写真はとりあえずネットのものですので現物ではありませんが参考までに。
昔、友人がメキシコを旅したときローカルのプロレスを巡って写真をとってきた時の話を思い出した。
祭り事って普段の人格、ペルソナと違った人格を得る時だと思う。ケララの祭りがあるのだけどシャーマンはカーストがどエラく低いので普段は相応に扱われている。祭りの期間だけ「神様」が宿るらしくシャーマンになり踊り狂いトランス状態に入りその時だけはブラーミンよりもスーパーになる。日常の社会の枠組みが揺らぐ。日本でも「無礼講」といって普段の「枠」や社会的な顔が外れる。
プロレスのマスクマンもそのようなものだ。
顔とかペルソナとか役割とかが変わる。
メキシコのマスクマンもシャーマニックなものだ。
女性が化粧をするとモードが変わるのも同じもの。
多元的。
人間の意識も複数の流れでできているのだと思う。
社会的ペルソナも多元的。
インドのカーストでは普段は普段のカーストの枠組みのながれ。
でもその流れの下にはシャーマンのダンサーのカーストの中にはぶっとびトランスで社会の枠組みをひっくり返したときの顔も潜んで流れている。
「太古の魔術的なもの」って別に不思議世界の怪しい世界のものでもなく意外と日常にやっているものだと文化人類学的に思ってしまう。
・・・・・・・・
オジサンが迎えに来てくれた。
仕事で忙しいのに。
オジサンの車の後をついて仕事場まで行く。
挨拶をして今度はオジサンのお兄さんの家に行く。
オジサンのお兄さんに合いに来たのは何故かとというと秋田の土着の薬草の使い方をこの機会に調べちゃおうという魂胆があったからだ。
尋ねるけど「も~、ばぁちゃん達おらんしね」という訳で薬草の知恵を持っていたじいさんやばあさんはもう無くなってしまったそうだ。
昔は風なんかを引くと近所の地蔵さまに薬草の前掛けが掛けてある。それを借りてきて風の時に掛けると。そして風が治ったら新しい薬草の前掛けを作って又、地蔵さまに返しておく。
なんかこういう地蔵さまの繋がりって優しいな。
こういう単純な土着の医療も日本に根付いている。
早く集めて回らないとじいさん・ばあさんがいなくなったらその記憶は無くなっていく。
この地球上から消えてなくなる。
人間の記憶に残らないものはどこかに埋まっていくのね。
ビョークの歌で「MODERN THINGS」ってのがありました。
その歌詞がぼんやりと思い出される。
"The Modern Things"
all the modern things
like cars and such
have always existed
they've just been waiting in a mountain
for the right moment
listening to the irritating noises
of dinosaurs and people
dabbling outside
all the modern things
have always existed
they've just been waiting
to come out
and multiply
and take over
it's their turn now...
like cars and such
have always existed
they've just been waiting in a mountain
for the right moment
listening to the irritating noises
of dinosaurs and people
dabbling outside
all the modern things
have always existed
they've just been waiting
to come out
and multiply
and take over
it's their turn now...
車とかの現代的なものは常に存在していた。
山の中で時が満ちるのを待っていた。
・・・・・・・・・
地蔵さまに薬草のエプロンを掛けていたのもまた「山の中」に帰っていったのか。
薬草の事、今回の秋田では結局、誰も知らなかった。
人間の意識は変わっていくもので昔は当たり前にあったものが無くなっていく。
当たり前のものって気がつくと当たり前じゃなくなる。
なんか残念な気持ちになっていたら・・・・・・
薬草の人はもういないけど「神様」ならいるよとオジサン。
「神様」という女性のシャーマンが地域ごとにいるそうだ。
病気になったり悩みがあると尋ねていく存在。
なんでも「○○に供養しに行きなさい」とかで病気が治るとかなんとか。
本当に太古の医療の名残り。
薬草は無かったけどじゃぁ代わりに「神様」にいくかと車にのって神様へ向かう。
でも結局、神様もお尋ねしたが合えずじまい。ご縁が無かったという事ですね。
という訳で日本の土着にある原始の医療の名残りを探してみましたけど今回は実りはあまりありmせんでした。
やっぱり薬草はマタギの所に行かないとというのがオジサン達の意見でした。
その代わりといってはなんですが今回の秋田では民謡などを良く聴く機会に恵まれました。
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