それを言わないようにしている時、身体には不快感が走る。
自分自身に、他人に、人生に不真面目な態度を取ると走る不快感と勝手に思っている。
その言葉をいうと後戻りができなくなりそうだ。
でも何かにしがみ付いている自分がいる。今日、人生最後の日なのかもしれないと思っていたら恐れて終わる人生なんて嫌だ。怖いと思っている方に飛び込もう。勇気だ。
思いっきり飛び込んで行きたいなぁ。
そのような生き方をアーユルヴェーダはどう考えるのだろうか?
事前にちゃんと調べてから行動しなさい。
事前にちゃんと調べて行動するけど怖い法に飛び込むことと同居できるようなもの。
アーユルヴェーダの考えかたは、
例えばパンクな陽明学の「知行合一」とは違う。
知ると行うは同時に発生する。
陽明学とは中国で王陽明が興した儒教の一派。
「知ると行うは合一」しなきゃという。
「先に知って後に行う」は悪だともいうそうだ。
熱い思想であることは陽明学の信奉者はろくな死に方をしていない事から分かる気がする。
西郷隆盛、大塩平八郎、三島由紀夫などなど。
熱い行動に生きる考え方。
アーユルヴェーダでは陽明学がダメとする「前知後行」だ。
最初に調べてから動きなさいと。
インド・ヨーロッパ語族の考え方はとっても論理的。
前知後行といっても姑息なのとはちょっと違う。
臆病なのとはちょっと違う。
前知後行と知行合一を対極としてみていない感じだ。
どちらかというと知行合一する為に前に調べる感じだ。
自分が恐れている方向をしる事ができたのも前に調べるツールがあったからだ。
アーユルヴェーダを人生謳歌しようじゃないかのツールとして使っちゃおうというのがスーパーME的な使い方。
だから分析項目というのがちゃんとある。
これは本来、病気の分析に使うものだけど実はニャーヤ哲学から借りてきたものだから論理学の分析ツールだ。
自分CIAしちゃうツールだ。
同じ所をグルグル回るなんてもうまっぴらだ。
同じ間違いを繰り返すなんてセンスない。
ちょっと冷静にどういう風に選択するか。
その知識を与えてくれる。
古典の訳では。
「もし人が・・・・・・・
- 原因
- 手段
- 行為の母胎
- 行為そのもの
- 行為の結果
- その後の影響
- 場所
- 時
- 方法そのもの
- 方法を実行する手段
・・・・・・になるものを熟知して行為にいたるなら望んだ行為とその結果を困難なく得るであろう」
これはチャラカ・サンヒターの特則8章に出てくるもの。
これを現実の問題解決のツールにして使う。
なにか選択してものを考える時のツールに使う。
アーユルヴェーダは身体をみるだけではない。生命そのものを扱う古代インドの科学だ。論理的に構築されている。これで身体だけではなく、問題解決のツールにもできる。
さぁ、ガンバロ。
雨の音が気持ちいいですねー。
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