2012年4月26日木曜日

信州かと思った

信州の山の中かと思った。

家を出ると雨の匂いが鼻に入ってきて、匂いにつられて僕は今、いる場所ではないどこかに連れてかれた。

意識とはフィールドで匂いが信州の記憶の種とつながり意識の畑は信州だらけ。

意識はネットワークでチカチカ♪


昔から言葉が足りずに苦労しています。
補足すると意識は電光掲示板の切り替わる表示みたいなもの。
表示のパターンが繰り返し入れ替わりに表示される。
裏通りの食べ物屋の「ランチ八百円」と「ウマイ」などなど電光掲示板の表示みたいなもの。

意識も同様。

これはマーヴィン・ミンスキーという人工知能などを研究してる気鋭の科学者の「心の社会論」からも仏教の阿頼耶識、サーンキャ哲学、アーユルヴェーダの認知の科学、仏教の認知科学からもヒントを得ています。

皆、相性ばっちりです。

例えば僕の中で「雨の匂い」が入ってくる。
それに関係した記憶がネットワークで繋がれていて想起されます。
雨の匂いにくっつくものは(なぜか)信州。その他には緑の濡れた熱帯雨林、東南アジアの風景などなどなどなど。沢山あります。今日はたまたま信州の記憶が呼び起こされました。ちなみに私は信州とご縁は対してありません。そして信州で思い起こすのは温泉、家族とのスキーの記憶、野沢菜、夏休み、井上揚水の少年時代、私の心は夏模様♪

別の記憶のネットワークも刺激されます。
東南アジアや熱帯の環境も同様に尋ねていったマレーシアやケーララの記憶。

意識化されないけど感覚的に眠るもっと古い記憶も刺激されている。
僕の祖先が旅をしてきて東南アジアで感じたであろう記憶なども身体にはあるだろう。
細胞の奥底に眠る記憶。言語化されない記憶かな?

もっと古くは僕が動物だったころの。
魚だったころの。
単細胞の生き物だったころの記憶みたいなものも感じているのかも。 
そういうものも感じているかもしれないぞ。

ご飯を美味しいと思う。これは原始の記憶といってもいいだろうと思う。
旨味。これは食べなければ得られない必須アミノ酸の味。
生命が自分の身体でアミノ酸の一部を生成しなくなった。
では外から得なければ。うまいと思えばそれは必須アミノ酸の味。
だから「美味しい」って思えるクオリアは生きていくのに必要なアミノ酸を感じる機能。
ちなみにアーユルヴェーダで味を感じる働きはボーダカ・カパ。
知るためのカパ。

なにを知るのか?
身体への物質的な影響、化学的な影響を味を通してしらしめる。
このアミノ酸が旨味なように。
旨味はちなみにアーユルヴェーダでは甘味に入ると思う。

その甘味、旨味をうまいと感じられるのは太古からの記憶。味覚も太古の記憶。
動物になってから外から必須アミノ酸を得るようになった。 
そこに味覚が必要だった。


その味覚をとうして過去の記憶を味わっているのが、原始の記憶を味わっているのが旨味なのか。 口、食す味覚が生命活動の根源的な部分でもあった。

話をもどす。
意識がネットワークの話。

ある刺激からネットワークでつながっている記憶などが連鎖して想起する。

僕は雨の匂いから何故か信州。関係している他の記憶も。
す~はぁ、す~はぁとして。


それで冒頭の言葉。

信州の山の中かと思った。

意識はネットワーク現象。
色々なパターンの僕と勝手に思い込んでいる光。
電光掲示板みたく。

信州の山の中かと思ってあるいていた。気持ちよかった。
そうしたらいつもの変な看板が目に入ってきた。 変な意識が刺激された。 

信州の山の中から飛んできた場所は消費主義と所有と貨幣社会。
生き物すべてが共有しているはずのこの場所を人間の意識という進化36億年の歴史の中で最後の一瞬でしかない人間の意識の世界。進化の歴史を人間の一年にすれば人間の意識が芽生えた時間は除夜の金が鳴っている時間にも満たない。そんな意識が主張する所有の世界でした。 

では続きは明日。

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