2012年7月4日水曜日

FACEBOOKでもハタイクリニック

とうとうFACEBOOKのファンページも本格的に使い始めてみようかな。

あまり良く分からないで取り敢えずは私が言いたい放題やりたい放題やらせて頂いているTWITTERと繋げてみました。

こちらがリンクでございます。

一週間の殆ど私はこちらでフルタイムで働いております。
今、現在、実際に病院でフルタイムで働いているインドの大学出てインドのアーユルヴェーダの免許を持っているアーユルヴェーダ医は私だけです。フフフ。でもイレギュラーに他のアーユルヴェーダ医仲間の及川先生(月3回)とか安藤先生(月1回)も来ています。

やっぱりインド人達と同じカリキュラムをくぐり抜けて同じ古典を読んでインドの生と死と光と闇がありのままに共存する世界の空気を吸って連日カレーばっかり食べてチャイばかり飲んできた私達はアーユルヴェーダ医としてやはりちょっとした自負みたいなのがあったりします。(インドではカレーっていわないですが)最後にはあちらのリクシャ運転手なみに何事も動じない人生すべてノープロブレムとなるのが目標です。


ちなみに私はインドから帰ってきたときに煮物が美味しくないと感じるまでに味覚が変わっていました。煮物を食べた感想は「素材の味しかしないじゃないか」です(笑)今もあまり好きではありません。

そのようなハタイクリニックでございますが初代の院長の幡井先生はユニークなイケイケガンガンな先生でございました。

今の日本のアーユルヴェーダの歴史の中で大きな足跡を残した方です。

今、私達がアーユルヴェーダを知りスッゴいスッゴいと思っているのも初代院長のお陰に因るものです。戦時中かな、スシュルタサンヒターを独学で翻訳した先生がいたりと微妙な動きは近代でもありました。奈良時代はアーユルヴェーダは仏教とともに日本でも行われたとの事ですがそれから廃れてしまいその後は長い空白の時間が過ぎ去りました。仏教古典もアーユルヴェーダの薬の作り方だったりするのですがそのような認識はなくなってしまっtそうです。

それから今の日本にアーユルヴェーダをもたらせた第一波が60年代後半からの故幡井先生や故丸山先生です。すぐ後に現在でもご活躍なさっている稲村先生がいらっしゃいます。稲村先生は日本人で最初にアーユルヴェーダ医となった人です。

その後しばらく時間が経ちました。
90年代の後半に入学したのが私でしたが息をしているだけの時が間に在ったり(笑)ので関西にいる時伸先生が先に卒業しました。遅れをとった上に教授に「時間とは主観的なものなのだよ」とまったく質の悪い人間でした。そのように私が卒業したので私はインドに滞在していた時間が皆さんよりも少し長い。身体血中カレー率がやや高めなのです。鼻腔のお香の煤が張り付き具合もやや厚め。血中スパイスは絞りかすのようになっている間に発酵してアチャール(インドの漬物)のようになっております。

私が卒業して日本アーユルヴェーダ・スクールで講義のお手伝いをさせていただく機会をクリシュナ先生から頂きました。そんなこんなしている間に幡井先生がお体の具合を悪くしてハタイクリニックを手伝わないか?となりましてそのままの流れでフルタイムになっていったのでした。

先生にはインドの免許もって来ましたよと見せるとニヤニヤしてました。(笑)
ニヤニヤというより大変、喜んでくれました。

そのようなハタイクリニックとですが今後とも宜しくお願いいたします。

幡井先生の生前の出版物より



幡井勉院長のビジョン

アーユルヴェーダの世界より
はじめに

 

インドの伝統医学アーユルヴェーダが日本に本格的に紹介されてから、すでに30年が経とうとしています。その間に、日本の医学界は大きく様変わりしました。かつて迷信とまでに見なされて明治以来真剣に顧みられることのなかった漢方や鍼灸をはじめとする東洋医学が、西洋医学の行き詰まりの中で、急速に復権を果たし、また東洋医学にかかわらず、種々の民間療法・自然療法が著しく脚光を浴びつつあります。そして、近年では、代替療法(オルタナティブ・メディスン)という名の下に、近代西洋医学以外の古今東西の医療を復興させる試みが世界中でなされるようになり、各地の伝統医学を見直す動きが、まさに地球規模の潮流となっています。
   
生命を唯物的にとらえ、機械と化学製剤によって患者を強引に治そうとする西洋医学に医師や治療家の誰もが疑問と限界を感じているのです。そして、そうした疑問は、治療する側だけにかかわらず、治療を受ける側の患者達も感じています。そもそも「健康」に対する考え方そのものが大きく変質しているのです。「病気に罹っていないことが健康である」という考え方は現代ではもはや通用しないのではないでしょうか。肉体だけでなく、精神的な健全さが何よりも求められているのです。WHO(世界保健機構)が肉体と精神に加えて霊的(Spiritual)健康を、健康であることの定義に付け加えようとしていることは、現代医学をめぐる一つの象徴的な出来事であるように思えます。
   
世界最古の歴史をほこり、真にホリスティックな医学観を持つアーユルヴェーダは、こうした点で、現代の要求に応えうる、最良の医学と言えます。人間を心も含めて一個の宇宙としてとらえ、心と体を健全に保つことによって魂の浄化を促そうとするアーユルヴェーダは、まさに魂の健康を目指す医学なのです。しかも、食事や睡眠、入浴といった日常生活での養生を基盤とし、浄化法(パンチャカルマ)にしてもそれほど大掛かりな設備を必要としないアーユルヴェーダは、世界のどこででも実践可能な要素を備えています。
 実際、20世紀の後半になってからは、アーユルヴェーダは欧米をはじめとする世界各国から注目を浴び、その治療法・健康法が取り入れられ、また本家であるインドの国内においても改めて見直しがなされ、西洋医学を踏まえた研究がなされることによって飛躍的な発展が見られました。

  
そして、日本でもアーユルヴェーダが本格的に紹介されるようになり、ここ5,6年のうちにさまざまな関連書籍が立て続けに出版され、雑誌やテレビなどのメディアでもたびたび取り上げられ、国内でも優れた研究が発表されるようにもなりました。しかし、その実情はというと、どうもインドに対する神秘的なイメージばかりが先行してしまっていて、アーユルヴェーダそのものに対する理解はまだまだ不十分と言えるような気がしてなりません。それに、アーユルヴェーダに基づいた治療を実際に臨床的に行っているところは、今のところ日本では数えるほどしかありませんし、アーユルヴェーダの本格的な治療を受けられる滞在型の施設は、福島県にわずか一つあるだけで、しかもそれもまだ設備は十分とは言えません。そもそもアーユルヴェーダ治療の教育そのものが整っていないが現状です。
   
もちろん、アーユルヴェーダが医学のすべてであって、他の医学は全て無価値だ、などということを言うつもりは毛頭ありません。私自身のクリニックでも、アーユルヴェーダだけでなく、有効ならば漢方でも西洋医学でも何でも取り入れていますし、むしろ私は、西洋医学も含めて様々な医学を取り入れ、それぞれが互いに補完し合いながら、人間の健康を目指す統合医療こそが21世紀の医学だと考えています。
   
そして、そのためにこそアーユルヴェーダに対する理解とその普及が必要だと考えているのです。漢方や鍼灸よりも古い歴史を持ち、歴史的に見ても日本とそうは疎遠ではないインドを源とすることを考えれば、日本のアーユルヴェーダへの理解は浅すぎるとさえ言えるかもしれません。
   
2000年の日本アーユルヴェーダ学会第22回研究総会のテーマは「21世紀医療の変革を目指すアーユルヴェーダ」です。「変革」とはいささか大袈裟な表現かもしれませんが、現代医療の矛盾した結果とも言える介護や福祉の問題に対して、アーユルヴェーダの知恵はさまざまな形で貢献できると思いますし、未来の医療に向けてアーユルヴェーダをさまざまに応用することも可能だと私は考えています。アーユルヴェーダの本質は、治療というよりはその知恵を日々の健康と生活にいかに反映させるかという「健康科学」としての側面が大きな部分を占めます。ですから、単に長生きをするのではなく、「健康で長生き」のための知恵を蓄えたアーユルヴェーダは、これからますます活躍の場を広げることができるのではないでしょうか。時代はまさにアーユルヴェーダの出番に近づいているのです。
   
本書は、そのようなわたしのアーユルヴェーダへの想いをこめてまとめました。昨今の出版物の隆盛を考えれば、多少屋上屋を重ねる部分もあるかもしれませんが、日本のアーユルヴェーダの普及に少しでも役立ってもらえれば幸いです。

   
アーユルヴェーダが3000年の歴史を持つとされることを考えれば、日本でのたかだか30年の歩みは赤ん坊のようなものです。しかし、着実に芽は伸びています。それにある意味では、日本のアーユルヴェーダの受容は一つの段階を越えたと言えると思えます。公的な資格の必要性や医療制度の問題など、これから解決していかなければならない現実的な問題は山積みですが、インドの太古の英知が日本の若い世代に伝えられ、アーユルヴェーダが人間の健康を担う医学として受け継がれ、日本にも大きな花を咲かせてくれることを願ってやみません。
 
2000年盛夏    幡井 勉

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