「さぁ、やったぜ、怒ってきた♪」
と怒りモードから気持ちを外す事が楽しくなるときがある。
怒ると相当下品なもので頭の中に「まじでぇ~」と沸々とした気持ちが湧き上がっちゃっいます。
調子が悪かったりすると無限ループの中にはいって大変。
呼吸に意識を合わせる→しばらくすると抜ける→怒りモード再突入→呼吸に意識を合わせる→しばらくすると抜ける→怒りモード再突入→呼吸に意識を合わせる(以下、同じ)
別にヨクヨク考えるとどうでもいい。
何時死ぬか分からないのに時間を無駄な事に費やしたくない。
個人的に瞑想を日常にできたの面倒くさいのが嫌いというのを極めてみたらなってみただけだった。
「あぁ、僕、面倒くさいの嫌いなんだった、楽しいモードでいたいのだった」と単純に自分が面倒くさいの嫌なだけなのでした。
呼吸に意識を当てていたらサブウェイの野菜を選ぶように自分がどこに「注意(読んで字の如くね)」するのか選べる時がある。
何時もではない。
調子の良い時と悪い時はある。
調子悪いと怒モードにすぐ引きずりこまれる。
怒っていても仕方がないと教えてくれたのは「インドでの生活」でした。
インドは人も社会の貧富も聖も俗も怒キツい原色系で。
学校にいる時は怒っていた。
ロクでなし。
自分を受け入れない人に「僕を受け入れてよ、受け入れてよ、バブゥバブゥ」としてみた所でウザったいだけ。
あまりにもボンヤリしすぎて究極に他人の所為にしてみました。
お前が悪い→お前の前が悪い→その前が悪い→人間が生まれたのが→生命が生まれたのが→地球がうまれたのが→宇宙がはじまったのがそもそも悪いと。
そうしたらやっとこ自分自身が自分自身を否定している気持ちになってきました。
自分を否定して相手を否定して世界を否定していたら否定されてばかりになってそれはそれは詰まらんので疲れた。
止めた。
面倒くさい。
あははははははははははとバカバカしくなってきました。
今でも時折、怒りお漏らしをしております。
残念ながら、いたって普通にお漏らしをいたします。
でもそれはそれで勿体無いのでワナワナムカムカをどうポップに演出できるかが課題です。
この間は笑顔で返してみたら余計に怒られました(笑)
最近目指すは
結局、怒りに触れた人は怒りネットワークを構築して世界中に怒りをまき散らす事になるのでした。
世の中「類友」。
「類友」を調べる人間のネットワークの科学なぞ面白いです。
肥満の人が直近に友人にいると自分肥満率40%で友達の友達が肥満だと自分肥満率のがさがるとあった(リサーチのデザインや他のバイアスとか諸説はありましょうが)。その他もろもろ鬱でもイライラでもなんでもかんでも類友ネットワークでつながっております。
「怒りネットワーク」のメンバーになりたくないし。
面倒くさいオヤジとかやだし。
気持ち悪いの嫌いだし。
ダサいの嫌い。
ただの新陳代謝のパターンだし。
アホくさい自分の脳や身体が一時的に構築する怒りモードとかに人生委ねるのはもったいない。
天気みたいなものなのに。
天気が一時的にわるくなるみたいなもの。
私はこの言葉が好きだ「森に住む動物の如く嵐がすぎさるのを静かに待つ」
気持ちいいのが良い。
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