「大地が怒りに満ちておる・・・・」
と、オオババさんもおっしゃっておりました。
「聞こえないのか」
と、言いますが私たちが自分の五感でピックアップするものだけが現実だというのがそもそも乱暴すぎるのかも。
諸説は色々とありましょう。
目に見えるもの聞こえるものもいい加減。
認知のプロセスを勉強なさっている方々からすると。
私たちが現実と読んでいるものは「こう見えてくるだろう、聞こえてくるだろう」と予測を立てたものばかり見ているようです。見たいと思っている世界がその人にとっての現実でしかない。
赤ちゃんは生まれたばかりの時は白くぼんやりともやのかかった霧の中の世界をみている感じ。
経験や言語が感覚と結びついて現実を構築していく。
現実は最初からあったものではなく「そう見たい」と思っているものを作りあげたもの。
自分の聞こえない世界、見えない世界はあるのかと言えばあるに決まっている。
それが幽霊なのか妖精なのか宇宙人なのかキラキラ光なのか神様なのかそんなのは知らない。
自分が見たいと思っているものがその人にとっての現実だからその人がいると言えばいるのではないか。僕個人はどうおもっているのかというと「いそう」と感じている自分もいれば「そんな訳ないよね」と感じている自分もいて。首尾一貫はしていない。
知らないよ、そんなのという感じ。
私の甥には世界はこう見えていたのだろう。
ピカソは意識した訳でもなく見えるままそのままに書いただけとか?
見えない、聞こえないからないというのは想像力が無さ過ぎて。
自分の知っていることの限界が自分にとっての世界の限界で知識なんてものは自分が知っていると思った瞬間に壁になる。世界の行き止まり。少しずつ広がりを見せていくのでこれからが楽しみ。知識が広がった分、世界が広がる感じがする。
ちなみにジョディー フォスターが出ていた映画{CONTACT」の原作者はそれはそれはHARDCOREな科学者です。
科学者とは本来、あれぐらい想像力豊かであって未知と冒険のワクワクマックスじゃなければ勤まらないと思う。夢や希望が沢山で。
科学者とは本来、あれぐらい想像力豊かであって未知と冒険のワクワクマックスじゃなければ勤まらないと思う。夢や希望が沢山で。
世界が多次元だと超ひも理論の世界から物理学者が考え始めてから世界は多次元になってみた。それまでは多次元では無かった。地球が平らだと思っていたみたく。
ノーム チョムスキーには言語は人間だけに特別なものだと言っていた。
つまらん世界観。
窮屈。
象は地面の振動でコミュニケーションをとる。
鯨もイルカも人間の聞こえない言葉でコミュニケーションをとる。
ちなみにシーワールドとかにいるイルカは股間をプールの水の噴出口にあててマスタベーション恍惚MAXになっているそうだ。やるゥ。
木々もコミュニケーションをとっているしバクテリアも化学物質でコミュニケーションをとっている。
私達人間は人間の言葉の外側に位置するものをないものにしちゃう。
赤外線みえちゃう動物とか。
聞こえない音を聞いちゃう象とか。
五感の外側には色々とありそうだから人間の生理学的に限定された世界の外側にはなにがあるのかと想像すると心が踊る。まだ知らない世界があるのかと思うとオジサンまじでプルプル・ドキューン。
毎日は当たり前の風景とか思っていればそれは当たり前の風景にしかならなくて。
「正常の意識」なんて今日の経済至上主義の腹黒オジサン・ルサンチマンが加齢臭的な社会が限定、定義した言葉で枠組みでしかない気がする。
お金儲けしてキャバクラ・オッパイペロ~ンな発想に健康だぁ、異常だぁ、正常だぁとか言われても詰まらなすぎて狭すぎて・・・・・・
そんなのロックじゃないぜ。
世界には本当に想像もしたことない場所があって。
それはもしかしたら日常のすぐそばにいるのかもしれないとおもったら嬉しいことで。
今日も空気が本当に美味しくて誠に幸せでございます。
なんかイライラ感があるなこの文章・・・・・・
伝染ったら申し訳ないので消したい気分。
0 件のコメント:
コメントを投稿