2012年7月20日金曜日

雨の日の懐かしいにほい

あぁ、良いに・ほ・ひ

鼻腔には水と排気ガスとコンクリートと大気に満ちた色々と。

今日は明後日の仕事の準備も終わり、肩の荷がすこしかるくなったのでボンヤリとしたい気分だった。外の車が水の跳ねながら走る音が心地が良かった。

ボンヤリとしていたら中学の時の社会の先生を思い出した。25年も前になるのか。四半世紀じゃないか。

ろくに授業なんか聴いた記憶は無い。

授業中に喋っていると前に両手を握っているFシェンがいる。
Fシェンは社会を教える先生で今、思い返すといかにもアンチな社会の授業だった。

Fシェンの授業は怒られないから楽だった記憶がある。

子供の時からというか生まれてすぐに猛烈アスペな僕は特にFシェンの心境を意識した事はないけどきっと切ない顔をしていたのかな? 

私の中学時代は自我の芽生えなんか無かった。まだ自分なんて存在すらもあまり知らなかった。したがって他人もあまり存在していなかった。ただADHD的(今でも自分の興味のあるところに意識がいってしまうのでよくDにお願いされる)に浮遊して消費する生き物と物体の中間的存在。

中学生という時代はたいそうガキだった。というかまだ人間ではないぐらいだった。自我の芽生えが25位か。のんびりと生きてきた私は今も自分がガキだとおもっている。35過ぎて思春期が終わった感じがする。25歳位の人たちがすごく大人っぽくみえる。

中学生の時はホルモンの暴走と脳内のマンガとケンシロウとドラゴンボールとオモチャとチャリと大抵、エロ。

姉が何故だかインディーズの音楽に凝っておりナゴム・レコード(昔の石野卓球の電気グルーズの前身の「人生」というバンドやタグチトモロヲの「バチカブリ」とか「有頂天」とか他には「アブラダコ」とか大昔のデビューする前のブルーハーツがあったりした)だから彼女は何故か「原発反対」と言いアトミックカフェという運動にでて80年代からヴェジタリアンだった。数ヶ月だけ。

父親はどうにも文化的なものに理解のない人でパンクに目覚めた姉の安全靴(ドクター・マーチンは買えない用だった)を怒って捨てていた。いつも怒っていた。否定と怒りの人であったが今となれば自分の理解の届かないものへの怒りと拒絶と批判がなんだったのか理解できる(気がする)。力と権威を示して自己の正当性・満たされない部分穴埋めして不安な自分を保つ糧に・・・・していたのかな? そんな感じ。迷子だったのです。

そんな訳で威圧的な大人が嫌いだった。先生とか。インドの人と最初に合わなかったのは先生のいう事は絶対みたいな所だった。噛みついて噛みついて噛みつきまくったら全部自分に返ってきたっけ・・・・インドの話はまたの機会に・・・・・

あまり大人になるまでカッチョイイ大人のROLE・MODELがいた試しがない。
それで音楽をやっている人々は楽しそうだった。
僕もなんとなくそのような音楽に触れていた。従兄弟も音楽が好きで始めて買ったギターは傷がついていたほうがカッコいいと道路でガリガリと引きずっていた。彼は今もラスベガスでギターを弾いていたりする。顔に色々、塗りたくって。

中二迄はなんとなく姉の聴いている音楽を聴いていたが中学生になってからどういう訳かガンズ・アンド・ローゼスだ。銃と薔薇でアクセルの金髪のさらさら長髪キラキラ・ホットパンツ。でもそれが終わると軌道修正されてセックス・ピストルズなどを聴いていて当時、英語の先生が僕にあって僕の来ていたTシャツにFUCKと書いてあったと言っていた。そのようなTシャツを持っていた記憶はない。それでも背伸びや自分探しの中、マンガをみているとほっとしている要するにガキ。

まだ14~15歳位だったのか。

そのよな未発達な生き物。

他の科目であまりにも勉強をしないので一度、席を隔離された。右の一番、前の席だ。すぐ後ろにT口がいた。

まわりに話す人がいないのでノートの右上に悪戯書きをしながらボンヤリと授業は聞いていた。それで授業に耳を傾けていたら次のテストで微妙に良い点をとれたものだからそれ以降は勉強するのをさらに止めた。

そのよな勉強をしない僕は社会の授業でROOTSとベン・ハーをみた事は良く覚えている。
Fシェンは一度、アイヌのおばあさんを連れてきた。

今、考えるとものすごく素敵な授業なんだと思う。

ROOTSを見た感想は「キンタ・クンテ、足、早い」だったと思う。
ベン・ハーを見た感想は劇中で性行為に勤しむベン・ハーをみて「ベン・ハーはエロい」だった。

アイヌのおばあさんの感想は忘れた。顔は顔面麻痺でもしたのかのような顔だったけど中学生の僕は人を眼で判断するなんて術をしらないわけだからなんとも残念な子供でした。

そのFシェンは怒らないし、生徒からも舐められっぱなしだった。

それで怒らない人なんだなと思っていたら25年たった今、全然違う話を聞いた。

Dは学校からすぐ近くに住んでいてFシェンが車で通るのみた。

マドは閉まっていたけどクラクションをビー・ビー鳴らす熱く怒れるマッドFシェンを見てしまったそうだ。

訳があったのかどうかは知らないが人は色々なんだなと思った。


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