2012年6月7日木曜日

舎利子

九官鳥の事をサンスクリットではシャーリ(zAri)と呼ぶ。
般若心経に出てくる舎利子。

舎利子よ・・・・・と舎利子に語りかける形で話が進んでいきます。



舎利は頭が良い。
だから仏教では舎利子は舎利の子供って意味で弟子で一番頭のいい人になっておりました。

今日、朝、空気が美味しいなと思いながら歩いていたら舎利が枝を拾っていました。
巣でも作っているのだろうなと思いました。

子供の時に基地を作りました。
落ちているもので家を作っちゃおうとあの時の自分に弟子入りしたい。
舎利も自分で作るという当たり前の事をしている。

それで舎利は頭がいいから色々な鳴き声を真似る事ができる。
歌も歌う。


DMCのク○ウザーも牛の言葉が喋れる。

ベー ベー ベー ベーと牛をあやしていた。



今日は良い天気だ。

今日は遠くの家からくるので電車の中で瞑想しました。

瞑想中、人が沢山入ってきたときにツーンと不思議な匂いがした。

明らさまにこれはオジサンの匂いなのだろうと思った。

私の記憶の中に匂いとオジサンがセットになっているのか。

あれが属性的にオジサンなのか。

匂いの刺激→オジサンの匂いという思考というのがオートマチックになっているので不自由さを感じる。

それでも結構、匂いが強いものだから、別の所に集中してもすぐ匂いに引き戻される。

匂い→感覚→匂い→思考→感覚みたいな。

だんだん匂いに引き戻されなくなる。

そして色々なものを経験する。
僕の現実を作り上げている一つ一つが

瞬間の奥深さ
自我
しりあがり寿的なオジサン臭
自我
電車の機械的な音
自我
地鳴りような音
自我
自分の過去の記憶
自我
うすら若い中国語を喋る女の人の声
自我
自分の体のビリビリ感
自我
時間を追い越した時の拡がり

このようなものが映画の1コマ1コマのようにシャカシャカシャシャカシャカいれかわり。入れ替わって立ちかわって。

現実の多元性を経験しつつもピカソさながらの世界でポップな仕上がりの通勤でございました。


電車の中で瞑想をして目が覚めたら右横に上を向いて大口を開けて寝ているお方がいた。

窓に頭頂部が押し付けられて真っ平らな頭頂部で大口だ。

皆様も素晴らしき瞬間をお過ごしあれ。

「今という瞬間」は宇宙開闢と同じぐらいの大事件

意識に捕まらないように。追い越せ、追い越せ、時間を追い越せ

瞑想の現在へとどまるのって赤の女王現象的。

時間追い越すには走りつづけて現在に留まり続けると走り続けている時間の現在に留まる
赤の女王はその場に留まる為に走り続けなければならない。

意識の形成=過去の状態の脳内・再構築

意識が形成される前に留まる。

時間は流れている。

現在→現在→現在に留まる。

同じく流れないと留まれない。

走っていないと現在に留まってられない。




 



合掌

0 件のコメント:

コメントを投稿