昨日はベタに引っ張って止めました。
再開いたします。
ムズムズ感は感じる事ができたでしょうか?
ドラマなどでいかにもというところで「では来週」となっている時。
これが「何かが足りない」と思っている時に起こる身体の状態です。
なにかが落ち着かない。
隙間があいた感覚。
端的にアーユルヴェーダでは「ほしいものが手に入らない状態、ほしくないものがある状態」が精神に負担を掛ける状態です。いわゆる普通の人の人生というのはそれはそれは思い通りに行かないものですからこの状態は一般的なんですね。 ごくごく普通に衣食住が満足にありでも人は「何かがたりない」と感じて聞き慣れた「足るを知る」という事なく彷徨い続けます。いけないとは思いません。皆が「たるを知る」などと言って生活していたら世界から人間ドラマがなくなっちゃいそう。ものによりますね。自分も意識に翻弄されて暴走しがちな事はよくあります。一息つくととってもクリアーになれるす。上手くクリアーになれた時はそっちの方が気持ちが爽やか。
だって代謝が落ち付いていますから。
ディフォルトのモードで人は「今に満ち足りている」という状態でないことが多いと言われます。
この状態が続くこと、ある代謝の状態を生み出します。
この「今、何かが足りていない」という状態から生み出される代謝。
身体の新陳代謝の働きを司る「風」「火」「水」を乱します。
「足りないという状態」を受け入れられない気持ちを「拒絶」の状態と言います。
「今、たりていない」のは「ヤダァ~ン」という状態です。 実際に心の中で「やだぁ」と聞こええいない。どちらかというと身体の感覚の「やだぁ」です。
ある現状を拒絶する。 これは怒りという熱の働きとしてアーユルヴェーダでは捉えます。
熱の働きは過剰になれば「火」の乱れを導きだします。
「火」というのは消化の作用を司ります。
そして神経が過敏に働き、呼吸も安定しなくなる。 それは風の働きという亊です。 動きの働きの「風」がみだれます。
充たされていない。足りない。ここじゃないどこかを求める状態。
これを身体の代謝を乱すストレスのある状態として捉え目標に到達したり、求めてたものを手にいれたり、排除したかった対象を排除するとこのストレスの状態から解法される。
そうすると代謝状態が代わり一種の「ポワワワワァ~ン」という代謝の働きの状態になります。
この気持ちが「えぇのぉ~」という状態になるのです。
自分の目標をクリアーしたときの安堵感。
足りていないものを手にいれた時の感覚です。
心に気持ちよい安堵感。
これはズーっとアグラや正坐をしていて「足が痺れた!!」で体勢を変えたくなる。体勢を変えたときの解放感。そしてしばらくは心地よい状態が続き又、体勢を変えたくなる。
ある一定の刺激を身体に与えてそこからの解法です。
この連鎖。
ここではないどこかを求めて行く亊。
目標に向かうのがアーユルヴェーダでは心のFLOWをよくするとあります。(あくまで僕の解釈です。) 身体の根底的な欲が存在欲です。身体的な根底的な欲を充たして、心は目標へ向かう亊でその存在の流れを作り上げます。
アーユルヴェーダでは理屈っぽいインド・ヨーロッパ語族が作った理詰めの論理ブリブリの医学です。神秘主義より論理ブリブリ感が古典大好き僕には強い。(論理学ニャーヤ哲学とも関わりあいが深い)
ダルマ・アルタ・カーマ・モークシャの四大目的。
これは僕のフィルターで訳していくと (モークシャは悟りだからさて置いて)
「手段を持ち、情熱を持てるもので自分の今生の勤めを生きていく」と訳してみたとして。
目的の中に生きるなのですが、それでは「今、ここではないどこか」を求めている亊ではないか・・・・・・・・
という亊でこのあたりをどうしたものか・・・・・・・・・・
それはですね。
このような亊です。
アーユルヴェーダでは、このように言います。
また、明日書きます。
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