人を元気にするにはその人が目的に向かう、目的をクリアーする。もう一つ上の高みを目指す、クリアーする、もう一つ上を目指すという「向上のプロセスの中に喜びを見出す」ような「FLOW」の要素が大切だと言いました。 この感覚は日常の生活の動作の中でも味わっている。掃除の時の終わった「スカーン」という感覚がそう。
実際にそこにたどり着いた感覚も大切ですが「向かっていく」という亊の中に喜びが見つかる亊が大事. 達成感で「ヨッシャー」の感覚。「ない状態」から「ある状態」、状態Aから状態Bの差異が気持ち良い。それにふりまわされてはいけないのですけど、現実的にこの感覚を通して元気になっていく。しかしその「ヨッシャー」の感覚を得るのに「無い、無い、ここじゃ無い、ダメ、ダメ」となっていては辿り着けない。ベストなパフォーマンスができない。
健康を考えても病気でないだけが健康ではありません。
何かに向かって行く事が大切。じゃないと元気になんてなりません。健康が目的になってはいけなくて健康を通して社会にどうするかが大切です。どのようなアプローチでも良いのです。そういう意味では健康ばかりに眼がいくのも非常に不健康です。
それでこの目標に向かう時に効率を上げる為には「青い鳥状態」で「青い鳥を探している時は一番幸せでした」という事なのです。
落ち着いていないと心が「パツンパツン」で「ここじゃ幸せじゃない」と「目標に辿り着かないと、満たされない」
したがって目標に辿り着く近道は「今に満足している、プロセスを歩む事に幸せを感じる」であるのでした。が、それをどうすれば良いのかという問題があります。
私は個人的に瞑想を行います。
インドにいたときからずっとやっているもので論理、セオリーの部分がちゃんと出来上がっていること、アーユルヴェーダの認知科学と相性が良いのでヴィパッサナー瞑想でずっとやっています。
瞑想なんかしていると「今に満足」なんてあんまりしていないんですね。
それがイケない亊だとも思いません。ただ物理的に身体に不快感を感じる。
普段は意識の状態が粗雑なのでこの小さな身体のピリピリ不快感(代謝やホルモンの状態からくると思います)は感じる亊はないのですけど。
心 は何かを求めている、今、ここじゃないどこかに行かないと幸せじゃないみたいなモードになりがちなんです。ずっとピリピリしている感じで。でもそこにとら われずに見つめて見つめて見つめていると刹那なんでけど「ボヨ~ン、エ~やん、エ~やん、ここ、エ~やん」となっているのですね。
ピリピリと感じながら も。この「ピリピリ感を退かさなきゃ」と一生懸命になればなるほどピリピリ・テンパり・モードは深みハマるので「ピリピリ・テンパリ・モード」を受け入れ ると結果的にそこからでれるというかなんというか。その心の運動を「心の筋肉」を、姿勢を調節するように、楽器を弾くときのフォームを調節するように、意 識を向けて調節(心という現象も神経細胞の働きですので)していくと解法されるのでした。いやぁ、心も身体の運動ですねぇ。
目標がないと心は萎える。
でも「今、ここにないなにか」への要求が高まりすぎると心は強いストレス状態になり結局、元気でなくなる。変なパラドックス。
旅路そのものにニッコリ、満足する「青い鳥を探している旅路」をニッコリが一番の近道なのでした。
そして「ヨッシャー」という達成感を積み重ねて行く。
身体の代謝では常に安定した「不足」の状態によるストレスを減らすようにしていく。
そのプロセス自体を向上する、成長するに繋げていくというような実践的なハッピーライフを送るには的な医学がアーユルヴェーダなのでした。
それで「今に満足するから何もしない」という訳ではないんです。
今に究極の満足して活動がなくなるのは古典ではモークシャにたどり着いた人とちょっと浮世ばなれしてくるのでここでは言及いたしません。
確かに古典では意識が活動に付随している状態ではまだ根底の小さな「苦しいよぉVOICE」が鳴っている状態と捉えるのです。でもアーユルヴェーダではそれ以前に自分だけがニコニコではなくて生きている存在がみながニコニコになる活動を通して「豊か」になろうではないかと非常にカッコいいのですね。 活動をしていくんです。 悟っている訳でもないので。 意識も散逸構造でINとOUTがあり根底的要求がある。肉体の根底的要求が生存欲なら意識のそれは目標を通しての自己実現。最終的にはマズローが語っているものに近いと思います。
僕は前回お話したレ・ロマネスクの活動も「ジュテームの嵐」とかいって本当にアーユルヴェーダっぽいもの感じます。 それから自分で木々を淡々と植えていくインドのおじさんも。
ちなみにスーパーMEではそれを実践的に生理学的につくっていく事を目標にしています。
只、病気がない状態が健康ではない。なにか「全体がニッコリ」できる亊に歩んでいく亊が素敵人生であるとアーユルヴェーダでは語られます。(何回も言いますけどその手段は人それぞれです)
なんたってクリニックでやっていてもアーユルヴェーダ的なアドバイスが実を結ばない時が多くあるんです。患者さん、自分も含めて人間はわかっていてもイケない事をしちゃうものです。
生活を正して生理学的に心身の働きを良い状態に持っていく、目標をもって生きていく、目標が自分で達成可能でチクセントミーハイ氏が語るように自分でクリアーできる目標に小さく分けて心を元気にする「FLOW」状態を作る。
達成感の気持ちよさ、私たちが感じるどんなに小さな事でも地球上の生命という一枚の絨毯の織りなす模様なのでした。
だからアーユルヴェーダのゴールなのです。
自分のニッコリと世界のニッコリがつながっている。
そこに向かって成長していくプロセスにニッコリ。
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