昨日は池袋で阿波踊りに遭遇した。
区役所の近くの昼過ぎ。ビルに囲まれた場所だけど「エイヤサァ」「あ、ソレ!」と日本の掛け声が響き渡っていました。 踊りは女踊り、男踊り、また女踊りと続いて長老の阿波踊りでした。手には松の団扇と鈴。鈴は種を蒔く動きを象徴的に表現しておりました。
何故、おじいちゃんなのか? 古代の村社会ですはおじいちゃんは「性」を超越していているからこそシャーマニックや役割を与えられて舞うそうです。 生きること転じて死、食すること、豊穣などが感謝の念と共に踊られて「ソイヤッサァー」とカッコいい。 老若男女が舞ってそこには喜びななにかが。
祭りは男女が結ばれる時でもありました。
女性達が傘をかぶっていますが本来、この傘で顔を隠します。顔をかくしてそして、踊りやすいように着物をたくしあげます。したの白い着物の下はノーパンでセックス・アピールな訳ですね。「カモォーン」てな訳です。そして男女が薮に消えていき結ばれては子供が生まれたりするわけです。「父親?だれだかわかーんなーい」だとか珍しくなかったそう。 今日のフランス的です。
顔が隠れた女性の女「ウフン」踊りで男性などもさらに「ソイヤサー」と頑張っちゃうわけでした。「ソイヤサー」と腰を低くがんばっちゃいますが頭の中はどうなっているのか。 女性は顔も隠れています。 これがグッと上がるポイントを刺激するそうです。 アゲアゲ。 暗闇と火の中でクネクネクネと「セクセー(SEXYね)」な女踊り。踊りホルモン、自分ホルモンで頭がボワーンとなって「ソイヤーソイヤー」とがんばっちゃって男女はいそいそと薮に消えていく訳です。
そうしてじいさんはフムフムと。
ばあさんもフムフムと。
最近、街をあげてコンパとかやって男女の出会いをとかあるようですね。
昔の社会は自然に祭りでやっていた。
街コンなんてやらなくても子供にこまらなかった。
こういうのが生きたコミュニティーだと思うのでした。
それでオジイサン・オバアサンにも年になったから年になったなりの役割が。
「生きた」コミュニティー。
何故祭りかというとアーユルヴェーダにも関係があるのです。
僕からみれば。
右肩上がりの社会で生産性と経済成長だけがコミュニティーの尺度になっているのは「生き生き喜び」の尺度にはまったくならない。
コミュニティーで生きていくことそれが「心の栄養」になる。
人の健康はただたんに身体に病気がない状態ではない。
活動の中で生きていく事。目標に向かっていく事。
繋がり、コミュニテーの中に居場所が、役割がある。
コミュニティーが健康でなければそこに住んでいる人が健康になるわけはないと思うのですね。
オジイサンがかっこいい。 オバアサンの知恵が必要。「自然」な社会がそれを必要としている。 生きたコミュニティーがあること。それが健康に生きる土台にもなる。身体だけが機能していてもあまり意味がない。 人が生き物なように地域だってコミュニティーだって生き物。生態系も生き物。その中での新陳代謝が必要だと思う。意見の違うものどうしが色々と役割をこなしていく。
それでそれでやっぱり僕は断然、坂口恭平さんの活動に魅力を感じるのでした。
ZERO PUBLIC。
医療だって大抵のものは地面から作れるぜ。実際にアーユルヴェーダはなにもないところで治療ができる。かといって最先端の医療を批判する訳ではない。
しかし生活の習慣からくる病は個の心身だけではなくコミュニティーでの繋がり、生活、活動すべてがからんでくる。 実際にアーユルヴェーダで面白く凄いと思うのは心身だけでなくコミュニティーや生業、社会への働きかけが個人の健康の関係性の中で語られる。
コミュニティーが元気になっていくことも、その活動もなんでも皆でにっこり元気になっていけるものがアーユルヴェーダの目標ですので。スーパーME.evolveの講義でもお話したように!!
そんなアーユルヴェーダを祭りを見ていて想うのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿