昨日は午後は講義を行いました。
講義を行う前にパラパラと雨がふってきて、新宿の大ガードの場所にはズッとピョンピョン跳ねている男性がいました。 何かに興奮しているのですが何に興奮していたのでしょうか?
やっぱりアーユルヴェーダをズッとやっている私はアーユルヴェーダ的生理学なものの見方をしてしまう。「あの跳ねているはヴァータの働きが・・・・」なんて思っていたりしていました。
横断歩道を渡り終えると男性の亊などはすぐに忘れてお昼の12時位だったのでお昼を食べようというモードになりました。 この日は瞑想も丁寧にやって、歩いている間も殆ど瞑想状態であるいていたので心が非常に安定していました。ニコニコ。
ヤサグレている時にご飯屋にはいると「カレーは飲み物!!」的な食べ方をしてしまいますが昨日は落ち着いている心持ち。 天屋が目にはいると「お、天屋がいい」と思いました。天屋に入っていきました。天屋に入るとカウンターに通されました。お昼時なので両脇に天丼を頬張る人がいます。後ろでも天丼を食べています。天屋では天丼を皆、食べています。
そこで瞑想のお陰で心が落ち着いていたので「野菜天丼トッピング梅と竹の子」を頼みました。竹の子のトッピングを頼む時、クリニックにいる放射能危ない派の人たちの「竹の子は放射能だらけ、だらけ、だらけ」という言葉が心に響きました。 これがオートマチックに走る思考の連鎖です。この根底には僕の中に「不安」をWELCOMEしてしまうモードからでてくる。不安になることでバランスを取る働きがでている。それを呼吸を整えて「竹の子放射能パラノイド」から抜け出ました。
放射能の影響の是非は分からないので分からないものには気を付けるのが正しいアプローチかと思います。 だけどその日は竹の子が食べたかったのです。
さぁ、天丼がやってきました。
一口、天丼を口に含みます。
箸を置きます。
目をつぶります。
姿勢は不自然な位、伸びていて良すぎます。
噛みます。僕の顎は陥没しているので噛む度に音がなります。噛みます。
もう「ミスター味っ子」気分です。
でも「ミスター味っ子」は殆ど見たことも読んだ亊もありません。
うまい、これがご飯の味か。
おぉ、悪そうな油が口の中にジュワっとひろがって口の中が資本主義と大量生産と自然の味わいが広がっている。
戦略をねる。最初は南瓜の天ぷら、ご飯。梅の天ぷらを食べて、直ぐにご飯。ご飯だけ。天丼もいくつかの食べる順番があると思うのです。天ぷらのみ。天ぷら後ご飯。天ぷらと同時にご飯。ご飯のみ。ちょっと数字でだすと天ぷらの食べ方も具が6種類ほどあったので6の4乗で1296通りの食べ方があって・・・・その中で又、僕は1296通りの自分になる。経験→その時の自分という現象。1296通りのバリエーション。
↑なんて亊はまったく考えていないのですが唯々、ジュワっとひろがる酸化した油の味が美味しかったです。
美味しい。ジャンクだけど、美味しい。
噛む、噛む、噛む、噛む
ウーマーイーゾォー ♪
とちゃんとアーユルヴェーダ的な食べ方ができた日でした。
そして食べた後には嬉しい気持ちになりました。
ゆっくりゆっくり静かに静かに食べること。揚げ物はアーユルヴェーダではないですけど、先ずは何を食べてもゆっくり食べて程よいところでニッコリと止めること。これが食べるときになにより大事です。
ゆっくり食べて、集中して食べて、程よいところで止めることです。
心がワシャワシャになっていると中々、難しいです。
やっぱり心が落ち着いていないとこのモードに中々、なれないです。
だから食事前にゆっくりお祈りするといいのですね。あれは生理学的な意味もありますね。
みょ~に姿勢が良くて、目を瞑って、一口一口、マッタリと味わった天丼。
カウンターに出してくれた日本語の達者な東南アジアからのお姉さんにも「ありがとう」と思うのでした。
こうやってちゃんと食べれた時は食べ終わっても前向きになれる。
ちゃんと食べれなかった時やモリモリ食べすぎちゃった時は「あぁ・・・」と思ったりしちゃう。
比べてみると自分が気持ちよくなれる方を経験としてしっているのに何故か人間って変な方にいっちゃう。それが愛おしいのですけど。ブレーキの壊れた人も人の闇を素晴らしいと思います。
野菜天丼を美味しく食べて僕は講義に向かうのでした。
この日の講義はネット起業家などがあつまる男性ばかりの学校です。皆さん、知識欲の塊で興味は持ちますが「インチキくさい」ものなど「ヘっ」と一蹴されます。 僕には凄く有難い学校です。哲学も論理学も言語学も語学も大好きなんでも勉強大好きな勉強マニアの学校ですのでアーユルヴェーダで話す亊も「ニュートラル」な科学者的な立場を崩さずに話します。
僕はこういう立場の話方は大好きです。 アーユルヴェーダも実は論理学が多くかたられます。自分の思考の仕方を思考してみようというメタ思考。議論の仕方や論理の構築などの話も良く出てきます。 チャラカ・サンヒターでは特則8章です。 その他には原始仏教や仏陀のスタンスもこういう形だと感じます。大好きなのは「証明できない、話すことに意味をなさない亊」には無言でいる亊です。 「無言」を答えとして分からないものは分からないと非常に科学的で謙虚な態度で世界をみていたことです。 「形而上学的」な話であーでもない、こうでもないと話すでは無い。死んだあとの亊は死んでから考えればよろしいという感じ。 生きている間は生きている時にすべき亊をしようよという立場。(この話もまたの機会にできればと思います)アーユルヴェーダではこう言われている。 でもそれは文化的思考もあるかもしれないし、歴史的にはわからない、等など学術的に通用する言い方で発信していく必要があります。 こういう発信はとっても勉強になります。
その講義も無事おわりました。
でも講義の古典の訳の中に「シャープ、携帯電話」という謎の誤字が入っていました。失礼いたしました。
講義の生徒さんが世界的に有名なプレゼンのコンテスト的なものに挑戦すると言っていました。ガンバレと思います。
その後には日本橋に行ってクリシュナ先生とラージゴーパール先生と及川先生とインドから帰ってきてる3年ぶりの再会のサンデャという(日本人です)アーユルヴェーダ医と打ち合わせしました。
その後に新宿3丁目のタイ料理屋で日本人アーユルヴェーダ医3人でご飯を食べました。 おもしろい話を及川先生がずっとしていたのに途中からタイの箸いれに指を指す、抜けなくなるを楽しんでハマってしまいました。
指を指す、抜けなくなる。人差し指と小指に指す。抜けなくなる。
及川先生とサンデャの話が行われているなか指す・抜けない、指す・抜けないを続けていました。人から「話をきけ」と言われるの次に上の様な箸入れがあったら気を付けたい。
昨日は雨模様でしたがアースデイにてモダマ工房さまがスーパーME.evolveのチラシを置いてくださいました。 どうもありがとうございます。
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