2012年5月11日金曜日

木がゆれてた

朝、起きると本当にいい天気。

これ以上ないぐらい。

いい天気。
いい天気。

アーユルヴェーダでは天気の状態と身体の状態をつながってみる。
その影響は凄く大きい。
同じご飯を食べても好きな人と静かにシッポリと食べるのと新宿の駅構内で食べるのとおお違いな位、影響する。

身体は調子良くなるとかアーユルヴェーダ的情報の話じゃなくて。

学問もニュースも情報ばかり。
情報ばか。

現代の人間は情報プロセッサーになる事を良とする。
情報。

情報。

情報。

風に揺れる木々を見ても情報の事考える。

それがもったいない。

本当に勿体ない。

日本にはMOTTAINAIという素敵な言葉があります。
おばちゃん再登場。


バルコニーにから木々を見ていたら情報の世界に生きている自分が悲しくなりました。

それで考えが出ないように木を見て木を見て木を見ていたらユレユレユラユレユラリが非常にサイケデリックな揺れ方に見えてきました。アメリカに住んでいた先住の民達は情報ではなくもっと頭の中がすっきりした形で世界をみていたのだろうなと思いました。

揺れ方とか。

目ではいってくるニュアンスとか。

丁寧に見るとか丁寧に味わうとか丁寧に人の話に耳を傾けるとか大事ですね。
僕は頭が暴走してしまうから「今、この瞬間の目の前」からすぐ切り離されて妄想夢想の脳内牢獄に入り込んでしまうから「今、目の前」の現実が気持ちよかったりしてそこにもどって木が揺れているなぁとか感じれると嬉しくて嬉しくて。

朝、仕事をするのだけど朝に「何もしない」というかしっかりと五感を通して感じるって大切だなと思いました。

友人が先日テレビに出ている坂口恭平さんを見たそうそうです。

アフリカ・キリマンジャロの山を上り、登山者のミイラ化した死体を見かける。そこで足がすくむなんて話を坂口さんの友人である別のゲストが話している。その横でソファーにででんとすわり「ハイキングっしょ?」みたいなふんぞり発言(笑)ほんとウケたと。

こういうのいいな。

僕は行動に生きている人がすきだ。

自分も動けばいい。

一日、一狂い、二つの選択があったら怖いと思っている方に飛び込め。
一日、一回は狂おう。

酔狂。

大好きだ。

こうありたい。

坊主の中でも破戒坊主が大好きだ。

とらわれない人でいたい。

ニュースをみた。

就活自殺という言葉があるぐらいの世の中だ。

狂っている。

狂っている。

狂っている。

皆々で狂っていると狂っていない人が狂っている感じだ。

でも何はともあれ天気は本当に美しい。

こんなん見ていたら死ななくてもいいと思う。

アーユルヴェーダは遊行のパンクな医療なんだ。

エステとか全然関係ない。

本当の姿はどちらかというと土から医療を作り上げるだ。

生活から地球に生きているところから医療を作り上げるだ。

日本にも遊行の文化を作ろう。

死にたいと思う人が多すぎるのはちょっと悲鳴が多すぎだ。

安全なところにいちゃだめだ。

ドキドキワクワクと感じながら飛び込みながら。

何ももっていない。

最初から何ももっていない。

名前もない。

僕なんて現象は錯覚だ。

犬と同じだ。

虫と同じだ。

木と同じだ。

雲とか空もだ。

自意識ウザい。

壁を飛び越える。

解ける混ざる闇鍋だ。

流れしかない。

今しかない。

今は昔のBIG BANGぐらいの大事件だ。

瞬間、瞬間が大事件だ。

超面白い。

面白い。

面白い。

飛び込め。

しがみつかない。

新しいとこに行くには捨てなくちゃ。

死ぬことはない。

どちらにしろ瞬間、瞬間、生まれ変わっている。

音楽の変拍子に切り替わるように切り替えちゃえ。

切り替えられちゃう。

それにしても天気が良い。

木がゆれてる。

情報の世界から離れちゃえ。

目で楽しげに揺れる木々を味わう。目から美味しい。自分が見ているとかじゃなくて自分自身がその見ているソノモノ。

自分なんてのも「情報」だ。



朝のFREE FLOWで垂れ流しでした。



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