2012年4月20日金曜日

古典を訳してみた!その1:アーユルヴェーダの定義編

原型を留めていない形で古典を訳してみました。

スーパーME.versionです。

hitAhitaM sukhaM duhkhaM Ayustasya hitAhitam |
mAnaM ca tacca yatroktaM Ayurveda sa uccate |1:1:41

「アーユルヴェーダ」は「生きる」という事はどういう事なのか、生命の寿命、その生命にとって良い働きをするものと悪い働きをするものを語り、そして生き物すべてに良い生き方、そうじゃない生き方、幸せな生き方、幸せじゃない生き方を語ります。

この詩節は私たちアーユルヴェーダを学ぶものにとっては一番重要な古典の一つである「チャラカ・サンヒター」と呼ばれるテクストに書かれているものです。 この古典は現存するバージョンになったのは5~6世紀と呼ばれています。何時の時代から書かれ始めたのかははっきりしたことは判っていません。 紀元前8世紀位という事になっています。 この古典チャラカ・サンヒターには主に内科が中心的に書かれていて内容は医学のテクストなので生理学、解剖学、病気、治療法はもちろんですが論理学、環境科学、哲学、形而上学等にまで及びます。 

アーユルヴェーダが色々な意味で体系的で包括的な医学だと言われる所以は医学という学問を私たちの日常の生活から切り離さずに語り、また私たち日常の生活が地球上に生きる生命の関係性すべてに及ぶという視野をもたらしてくれるからです。  地球上に「生きている」という事を知らしめる。 自分が100%理解しているなどとオコガマシイことは絶対に申しませんがこの事を土台に生きていくとはという問いと共に医学を生活のあり方と関連付けながら展開していく。そのような医学は「現代の病理(というもの、我々が経験しているものがどこか病的なものであるのならば)」というか人の業というものに何処か疑問を感じるのであるならば耳を傾ける価値のあるものと信じます。


人類の長い長い歴史の中でも「生と死」は神話、芸術、文学に至るまで最も強い推進力だと思います。世界中の医学を始めありとあらゆる知識体系は死や世俗的な苦しみからの解法が大きな原動力。

「生と死」と「生きている」とはこういう事であると文化的な土台(ありとあらゆる文化が生と死にたいして文化的な認識がある)がしっかりしている。 その上に成り立つ生命観と幸福感は生きている生命体を全体から切り離した「個」としてみていない。 地球上の生命は皆、関係性のネットワークで繋がっているという今日のエコロジー的な視野を持っています。  

「生命体はなんぞや」という問い。 現在でも多くの人に中世的の時代の影響が続いている。今でも「一般的な認識」はデカルト的というか還元主義的。還元主義というのは例えば「遺伝子」が分かれば私たちがどうなるか全て分かるというような立場です。便利だけどいい加減だと悪名高いウィキペディアによると以下のように書かれています。 「複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方」 直線的な考え方そのものが生命という現象には当てはまらないという亊が科学でもいわれ始めて幾らかの時間が過ぎ去りましたが未だに世の中に還元主義の影響は根強い感覚をうけます。生命が常に共進化していくようにこの認識も変わっていくでしょう。 いつの日か直線的な考えかたが古くさい世界観だったと思う日がくるかもしれません。 私たちの知識や考え方もバクテリアのコロニー同士のように鬩ぎあったり混ざったりして交わって変わって行きます。インターネットなどでバズ・ワードが生まれては消え、生まれては消え、新しいものは流行りそして廃り、ものの考え方も流行っては廃りして常々に変化していきます。 言語も文化も社会も経済もその振る舞い方はまるでバクテリアのコロニーのようです。

意識ある科学者は古来いるので科学の方面でもアーユルヴェーダと繋がるものは数多くあります。実際に生命の自己組織化論やネットワーク論などが今日では一般的になってきています。 1978年にはジェームス・ミラー氏が「生きているシステム理論」という論理を打ち立てました。 日本、同じく1978年に清水博氏が「生命を捉えなおす」でやっと生命を流動的な活動する生きている存在として考えるようになってきました。 複雑系の科学など「カオスの縁」の理論や生きているシステム理論で細胞の働きと経済の働きなどを「生きたシステム」、お互いがお互いを影響し合う関係性の上に成り立つ存在として認識していく亊がすごくアーユルヴェーダに繋がってきているんです。

アーユルヴェーダの生命観と本当に相性がいい。

その土台の生命観がしっかりとしているアーユルヴェーダ。 生命とは流れであるとチャラカ・サンヒターの総論30章に言われます。その流れの中で今も旅の途中です。 生命という流れの中で、繋がり(ネットワーク)の中でどのように振る舞い、どのように生きていくのかを唱えたアーユルヴェーダ。 

古典の理解...........この単純なたった二行の詩をアーユルヴェーダを専門に勉強し始めて14年以上経ちますがやっとわかり始めてきたような気がしたぁ~気がしたぁ~気がしたぁ~、したぁ~たぁたぁたぁ...........

 それではボブ・マーリーのONE LOVEをお聴きください



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