元気になります。
昨日はアパートのある立川の先のほうの歩いて森の近くにいける家に久しぶりに帰る亊ができました。
駅をおりるとすぐ近くにある韓国料理屋で家族が仕事の打ち合わせをするので家族と打ち合わせにきた方と一緒に料理と食べました。 ここのおばさんは韓国の方で何時もニコニコしていて今まで人生で行ったことのある韓国料理屋さんで一番、大好きです。何回も来たくなります。
おばさんの料理は「お腹いっぱい食べていってね~」とモリモリの量を出してくれます。キムチも美味しいし、なにもかもが美味しい。 美味しくてお腹が一杯になって来ると元気になるお店って凄い。料理も美味しいのだけどなによりもおばさんが元気にさせてくれる。
そこで家族が仕事の打ち合わせをしているのだけど僕は一人でもりもりと食べていました。
打ち合わせの話の後に学校のヤンチャな若者の成長の話がでてきました。
打ち合わせをしにきた人はその話を聞いて「うぉ~ん」と布巾で目を拭いていました。
学校でヤンチャな若者、何回も問題を起こして元気に「大人の都合」に若者の「怒り」をぶちまけてきた若者の話です。学校では問題児だったけど沖縄の踊り、エイサーは一生懸命やっていたそうです。去年のあの地震の後に被災地に行って働いてきました。
「こんな何も分かっていない若者が行って迷惑をかけるだけかも、迷惑なだけかもしれないけど、怒りを俺にむけてくれれば」のような亊を言っていたそうです。
三年間、ヤンチャで教頭だったか学長だったかの胸ぐらをつかんで殴りそうになったり、停学なんかいもしたりした若者。そんな彼が自分が社会との関わりあう道や場所を見つけて、有り余った力を使う場所をみつけてキラキラしていく。 瓦礫処理で訪れた家。その家の主はお爺さん。 なにもかもを失くした爺さんがその若者と自分の孫の様に接してくれる。 そんな人と触れ合う亊で今まで感じた亊なかった栄養みたい吸い込んだのかな? そういう「数字にならない何か」で元気になっていく。 変わっていく。 人が変わって社会が変わって。 活動する人間が増えていく。
音楽と踊りを教えてそれで問題児でヤンチャだった人が成長していって、そんな仕事ができる人が凄いなぁと思いました。 そのヤンチャな人が成長してそんな話で涙を流している人にも「あ、泣いてるなぁ」と思いました。 「ダメだぁ、ダメだぁ」って言っているだけじゃなくて「今、できる何かを前向きにしようよ」という話でした。その後、僕は又、食べ物の世界に引き込まれて行きました。 その中で僕は「まだ、もうちょっと食べれる」なんて思っていたわけですけど。 でも帰る時はふう、お腹一杯。
その後にオバチャンは「キムチもっていくかい」とキムチまでくれました。
おばちゃんのお店も来ると美味しいとかお腹一杯!と思う以上の「何か」で幸せになります。
その何かって僕の友達が「これがFOOD FOR SOULだよね」と言っていた感じのもの。
それで今日の朝、仕事に向かう前に思っていたことなんだけど、やっぱり元気になるときって自分意外の外側に目が向いた時なんだなぁと。 自分の亊考えていても一番疲れるのは「自分がこの人の○○で疲れる」 とか自分関係の感情をもった時に一番、嫌なつかれかたする。 色々な人を仕事がら見る機会があるけどやっぱり「人に自分はどう思われているのか」と自分の亊ばかりを考えている人の方が具合が悪くなりやすいなぁと思った。
色々と不安の渦巻く日々のような感じがするけど、「今、この瞬間」は本当にキラキラしていて、明るい緑色の若葉がサラサラ風に揺れているのをみながら歩いていたら急に元気になってしまったのでした。
今日は土曜日。
本当に新緑がきれいになってきましたねぇ。
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